2010年 07月 23日
Varian Fry氏の偉大な業績 |
シャガールを、ナチスから守った、アメリカ人ジャーナリスト、「American Emergency Rescue Committee」の委員長、Varian Fry氏のお話。
ユダヤ人のコミュニティーやイスラエルでは、彼は英雄。そして、彼の戦時中の業績についての本やドキュメンタリーも、数多く出版されています。
1940年に、ナチスがフランスに侵攻。Varian Fry氏は、人道援助に関心の深かった、Eleanorルーズベルト大統領夫人の支持を得て、ヨーロッパのユダヤ人(反ナチス)知識人、芸術家、政治家、作家、詩人、役者等を、ナチスから守るために、難民として、アメリカに連れて来ることを使命とした、「American Emergency Rescue Committee」を設立。大統領に、ヨーロッパ難民をアメリカに連れてくるためのビザの発給を許可させる。
1941年、3000ドルと、アメリカに連れて行きたい人達のリストを手に、数人の委員会のメンバーと、フランスへ。同年8月に、フランスから追放されるまでの数ヶ月の間に、マルセイユのアメリカ領事館と協力して、ゲシュタポの目が光る中、約2000人をアメリカへ連れ出したのですから凄い!まずは、ピレネーを越えてスペインへ脱出させ、そこから、当時中立国だったポルトガルのリスボンへ連れて行き、船でアメリカへ。そのための、スペインやポルトガル入国や出国の書類の手続きまでしていたのですから。
秘密警察やFBIといった業務の訓練を全く受けていないジャーナリストの彼が、同様に、ボランティアで参加したメンバーの指揮を執り、こんな偉大なことを成し遂げたのだから、感動せざるを得ません。
さて、どうしてフランスから追放されたのかといいますと?フランス政府からでもなく、ナチスからでもなく、「反ユダヤ」色が強かった、当時の、在仏「State Department」(アメリカの政府機関)の計らいで、出国せざるをえなかったそうです。
興味がある方は、こちらもご覧下さい。
ユダヤ人のコミュニティーやイスラエルでは、彼は英雄。そして、彼の戦時中の業績についての本やドキュメンタリーも、数多く出版されています。
1940年に、ナチスがフランスに侵攻。Varian Fry氏は、人道援助に関心の深かった、Eleanorルーズベルト大統領夫人の支持を得て、ヨーロッパのユダヤ人(反ナチス)知識人、芸術家、政治家、作家、詩人、役者等を、ナチスから守るために、難民として、アメリカに連れて来ることを使命とした、「American Emergency Rescue Committee」を設立。大統領に、ヨーロッパ難民をアメリカに連れてくるためのビザの発給を許可させる。
1941年、3000ドルと、アメリカに連れて行きたい人達のリストを手に、数人の委員会のメンバーと、フランスへ。同年8月に、フランスから追放されるまでの数ヶ月の間に、マルセイユのアメリカ領事館と協力して、ゲシュタポの目が光る中、約2000人をアメリカへ連れ出したのですから凄い!まずは、ピレネーを越えてスペインへ脱出させ、そこから、当時中立国だったポルトガルのリスボンへ連れて行き、船でアメリカへ。そのための、スペインやポルトガル入国や出国の書類の手続きまでしていたのですから。
秘密警察やFBIといった業務の訓練を全く受けていないジャーナリストの彼が、同様に、ボランティアで参加したメンバーの指揮を執り、こんな偉大なことを成し遂げたのだから、感動せざるを得ません。
さて、どうしてフランスから追放されたのかといいますと?フランス政府からでもなく、ナチスからでもなく、「反ユダヤ」色が強かった、当時の、在仏「State Department」(アメリカの政府機関)の計らいで、出国せざるをえなかったそうです。
興味がある方は、こちらもご覧下さい。
by krkonose
| 2010-07-23 05:20
| 日々のこと