2012年 09月 30日
足元を見る |
日本語で、「足元を見る」という慣用句がありますよね。日本の母が、よく使っていたのです。平気で破れていたり、ぼろくなっている衣服を着て外出しようとする父に、「足元を見られるわよ!」と、注意していた(笑)。それだけで、どうして、「足元」が、身分や経済的地位を象徴する言葉として使われているのか、全然考えたことがなかったんです。
そんな私が、「足元を見る」という慣用句を痛感したのが、ケニアに到着してから。他の、アメリカ人の学生達と、グループで到着し、最初の数週間は、一緒に、スワヒリ語や地元の文化や社会について、学ぶ期間だったのです。そこで学んだことの中で、今でも頭から離れないのが、
「ケニア(アフリカ全般)では、いい靴を履いていないと、人から尊敬してもらえない」
ということ。講義をしていた教授(ケニア人)が、例として、目の前にいた、アンドリュー君とジョン君を例にとって、
「見てください!アンドリュー君は、ワイシャツにフォーマルなズボンを履いていますが、靴は、スニーカー。ジョン君は、Tシャツにジーンズですが、革の靴。どちらが、尊敬されると思いますか?もちろん、ジョン君です!」
そんなわけで、グループの男の子達は、何かの機会用にと、皆、革靴を1足は用意していました。女性は、ハイヒール程フォーマルではなくて、足の指が出ているお洒落サンダルでも、尊敬度には影響しませんが、やはり、スニーカーやビーチサンダル系は、地元の女性の基準からして、お洒落とは言えない。また、汚れた靴も、だめです!とにかく、「靴」が、とてもとても大切なんです。
アメリカでは、ニューヨーカーとか、上はフォーマルな装いでも、下はスニーカーでさっそうと歩いていて、それを、「カッコいい」とする感覚があります。人は、あまり、足元を見ないし、むしろ、足元よりも、お洋服に気遣う。
アフリカからの留学生(男性)とか、上はどんな格好をしていても、靴は、革靴を履いていたりする。アフリカンアメリカンとアフリカンは、外見は似ているかもしれませんが、歩き方を見ると、違いは一目瞭然です。そして、アフリカンだわ!と思うと、最初に靴に目がいく自分がいます。他の人達を見ても、靴なんて見ないのにね。不思議な私。
どうして、アフリカでは、ここまで「靴」がステイタスの基準になるのか?私の予想は、イギリス人が植民地経営のために乗り込んできた時に、源を発するのでは?その昔、アフリカ(北アフリカのアラブ圏は除く)の人達は、裸足で生活していて、そこに、イギリス人が、植民地経営のために乗り込んできて、「イギリス人=靴を履いている=上流」 & 「アフリカン=裸足=未開」みたいな感覚を、植えつけたからだと思います。
以前の記事にも触れましたが、同様の感覚は、生活の至る所に存在し、
「直毛は、神に祝福されていて、縮れ毛は、神の罰」
「肌の色が白いのは美しく、アフリカンの肌は、それに劣っている」
等、数え上げるときりがありません。
話は、靴の話に戻りますが、そんなケニア生活の名残なのか、それ以来、土地柄が分からない場所を訪れる時、つまり、「靴が、どの程度、尊敬度に影響するのかを、よく知らない土地」に行く時は、街中だと、どうも、スニーカーやハイキング用のアウトドアサンダルを履いて回る勇気がございません。ハイキング旅行とかは、別ですよ。
モントリオールやケベックも革靴で。スペインなんて、土地柄が全く予想出来ない世界だったので、絶対革靴。最初の数日間は、周囲を歩く人達の足元が気になってしまい、かつ、あまりにも靴屋が多かったので、もしかしたら、ケニアのような土地柄なんじゃないのかと、ちょっとびびってしまい、「ああ、質の良い革靴を履いてきてよかった~。」と、胸を撫で下ろしていたのです。そして、毎日、ホテルに戻ると、アメリカにいる時の自分とは別人のごとく、まめに靴の汚れを拭いておりました(爆笑)。
そんな私が、「足元を見る」という慣用句を痛感したのが、ケニアに到着してから。他の、アメリカ人の学生達と、グループで到着し、最初の数週間は、一緒に、スワヒリ語や地元の文化や社会について、学ぶ期間だったのです。そこで学んだことの中で、今でも頭から離れないのが、
「ケニア(アフリカ全般)では、いい靴を履いていないと、人から尊敬してもらえない」
ということ。講義をしていた教授(ケニア人)が、例として、目の前にいた、アンドリュー君とジョン君を例にとって、
「見てください!アンドリュー君は、ワイシャツにフォーマルなズボンを履いていますが、靴は、スニーカー。ジョン君は、Tシャツにジーンズですが、革の靴。どちらが、尊敬されると思いますか?もちろん、ジョン君です!」
そんなわけで、グループの男の子達は、何かの機会用にと、皆、革靴を1足は用意していました。女性は、ハイヒール程フォーマルではなくて、足の指が出ているお洒落サンダルでも、尊敬度には影響しませんが、やはり、スニーカーやビーチサンダル系は、地元の女性の基準からして、お洒落とは言えない。また、汚れた靴も、だめです!とにかく、「靴」が、とてもとても大切なんです。
アメリカでは、ニューヨーカーとか、上はフォーマルな装いでも、下はスニーカーでさっそうと歩いていて、それを、「カッコいい」とする感覚があります。人は、あまり、足元を見ないし、むしろ、足元よりも、お洋服に気遣う。
アフリカからの留学生(男性)とか、上はどんな格好をしていても、靴は、革靴を履いていたりする。アフリカンアメリカンとアフリカンは、外見は似ているかもしれませんが、歩き方を見ると、違いは一目瞭然です。そして、アフリカンだわ!と思うと、最初に靴に目がいく自分がいます。他の人達を見ても、靴なんて見ないのにね。不思議な私。
どうして、アフリカでは、ここまで「靴」がステイタスの基準になるのか?私の予想は、イギリス人が植民地経営のために乗り込んできた時に、源を発するのでは?その昔、アフリカ(北アフリカのアラブ圏は除く)の人達は、裸足で生活していて、そこに、イギリス人が、植民地経営のために乗り込んできて、「イギリス人=靴を履いている=上流」 & 「アフリカン=裸足=未開」みたいな感覚を、植えつけたからだと思います。
以前の記事にも触れましたが、同様の感覚は、生活の至る所に存在し、
「直毛は、神に祝福されていて、縮れ毛は、神の罰」
「肌の色が白いのは美しく、アフリカンの肌は、それに劣っている」
等、数え上げるときりがありません。
話は、靴の話に戻りますが、そんなケニア生活の名残なのか、それ以来、土地柄が分からない場所を訪れる時、つまり、「靴が、どの程度、尊敬度に影響するのかを、よく知らない土地」に行く時は、街中だと、どうも、スニーカーやハイキング用のアウトドアサンダルを履いて回る勇気がございません。ハイキング旅行とかは、別ですよ。
モントリオールやケベックも革靴で。スペインなんて、土地柄が全く予想出来ない世界だったので、絶対革靴。最初の数日間は、周囲を歩く人達の足元が気になってしまい、かつ、あまりにも靴屋が多かったので、もしかしたら、ケニアのような土地柄なんじゃないのかと、ちょっとびびってしまい、「ああ、質の良い革靴を履いてきてよかった~。」と、胸を撫で下ろしていたのです。そして、毎日、ホテルに戻ると、アメリカにいる時の自分とは別人のごとく、まめに靴の汚れを拭いておりました(爆笑)。
by krkonose
| 2012-09-30 03:46
| 異文化