2015年 11月 13日
ギリシャ&トルコ旅行記26:トルコ3日目② ~アヤソフィア |
ブルーモスク見学後は、次の目的地、アヤソフィアに向かいます。
スルタンアフメド広場に面する、観光客向けのハマム(トルコ風呂)。私は、この2日後に、イスタンブールの観光客向けのハマムではなく、お友達の住んでいる町の、トルコ語しか通用しない観光客皆無のハマムに連れて行ってもらいましたよ。その時の素晴らしい経験は、後ほどの記事にて。
アヤソフィアの入り口です。
アヤソフィアは、ビザンチン帝国のギリシャ正教の大本山だった大聖堂で、360年に完成しました。1453年の、コンスタンティノープル(イスタンブール)陥落後はモスクとなり、その見事なモザイク画は、漆喰でぬりつぶされ、1937年に発見されるまで、日の目を見ることが無かったとのこと。現在では、博物館になっています。
すっかりイスラム教国になってしまったトルコも、その昔は、聖ニコラスが布教をしてまわっていた土地でもあり、キリスト教の文化の面影が残っています。
スペインで、元々モスクだった建物が、キリスト教徒がイスラム勢力を追い出してしまった後、教会に変えてしまった建築物をいくつも観る機会があり、トルコでは、その逆のパターンなので、興味深かったです。
元々イスラムの内装だったのを、頑張って上から塗りつぶして聖画に変えても、どうしても無理があるというか、モスクらしさが残っている。アヤソフィアも、やはりモスクにするには、無理があったな~と思いました。
過去の栄華をひしひしと感じさせるアヤソフィア。だけど、保存状態が良くなく、修復完了までには、まだまだかなりの時間がかかりそうですね。
「マリアの手形」:くぼみに親指を入れて円が描けると、願いが叶うと言われています。
アヤソフィアは、スルタンが、金曜日の礼拝に使っていた場所でもあります。
こんな坂道を登って、上の階に行くことが出来ます。そこからの眺めも、また素晴らしかったので、ご覧下さい。
スルタンと、その家族のお墓の建物に入っていきます。
スルタンアフメド広場に面する、観光客向けのハマム(トルコ風呂)。私は、この2日後に、イスタンブールの観光客向けのハマムではなく、お友達の住んでいる町の、トルコ語しか通用しない観光客皆無のハマムに連れて行ってもらいましたよ。その時の素晴らしい経験は、後ほどの記事にて。
アヤソフィアの入り口です。
アヤソフィアは、ビザンチン帝国のギリシャ正教の大本山だった大聖堂で、360年に完成しました。1453年の、コンスタンティノープル(イスタンブール)陥落後はモスクとなり、その見事なモザイク画は、漆喰でぬりつぶされ、1937年に発見されるまで、日の目を見ることが無かったとのこと。現在では、博物館になっています。
すっかりイスラム教国になってしまったトルコも、その昔は、聖ニコラスが布教をしてまわっていた土地でもあり、キリスト教の文化の面影が残っています。
スペインで、元々モスクだった建物が、キリスト教徒がイスラム勢力を追い出してしまった後、教会に変えてしまった建築物をいくつも観る機会があり、トルコでは、その逆のパターンなので、興味深かったです。
元々イスラムの内装だったのを、頑張って上から塗りつぶして聖画に変えても、どうしても無理があるというか、モスクらしさが残っている。アヤソフィアも、やはりモスクにするには、無理があったな~と思いました。
「マリアの手形」:くぼみに親指を入れて円が描けると、願いが叶うと言われています。
アヤソフィアは、スルタンが、金曜日の礼拝に使っていた場所でもあります。
こんな坂道を登って、上の階に行くことが出来ます。そこからの眺めも、また素晴らしかったので、ご覧下さい。
スルタンと、その家族のお墓の建物に入っていきます。
by krkonose
| 2015-11-13 12:06
| 旅行